第9回の返歌特集です。今回は、夏のはじまりの二句を取り上げます。
元句が**「羽があれば、君の窓へ飛んでいくのに」と夢を見て、返歌が「その羽は、もうない」**と静かに受ける——高く飛ぶ想像から、地に足のついた喪失へ。同じ「南風」のなかで、気持ちがそっと折り返す。そんな、胸に残るやりとりでした。
一句目:羽があれば、君の窓へ
なごみRさんの俳句。
南風 / 羽あればすぐ / 君の窓
南風(みなみかぜ/はえ)——夏のはじめに吹く、あたたかく湿った風ですよね。その風に乗るように、**「羽があればすぐにでも、君の窓へ飛んでいくのに」**という。
これは、会いたい気持ちのまっすぐな句です。「すぐ」のひとことに、もう抑えきれなさが出ていますよね。距離なんて、羽さえあれば一足飛びにできるのに。南風に背中を押されて、心はもう君の窓辺まで届いている。若々しくて、ひたむきで、ちょっとまぶしい一句です。
ただ、よく読むと——**「羽あれば」は、「羽が、ない」**ということでもあるんですよね。飛んでいきたい。でも、飛べない。その切なさが、明るい南風の裏に、うっすら隠れています。
二句目:その羽は、もうない
そこに、川石のりたけさんが返歌を投げ込みます。14共感を集めました。
飛び立つ夢も / 今は無きまま
これを読んだとき、あ、と息をのみました。
なごみRさんが、明るい南風のなかで**「羽があれば」と夢を見た。その「羽」を、川石さんはそっと受け取って——「その羽で飛び立つ夢さえ、もう無い」**と返したんです。
「飛び立つ夢"も"」の、「も」が効いています。君のところへ飛んでいく夢だけじゃない。飛び立つこと自体への憧れすら、いつのまにか消えてしまった。若い日には当たり前に持っていた「どこかへ行ける」という感覚が、気づけば手のなかから無くなっている。「今は無きまま」——取り戻すでもなく、嘆くでもなく、ただ無いままにしている、その静けさ。
元句のひたむきな飛翔が、返歌で地に足のついた喪失に変わる。これが、このやりとりの胸に残るところです。
飛べる夏と、飛べない夏
このやりとりの面白さは、同じ南風が、二人にまったく違うものを運んでくるところにあります。
- 元句:南風に乗って、今すぐ飛んでいきたい(羽への憧れ)
- 返歌:その南風のなかで、もう飛ぶ夢を持っていない(羽の喪失)
なごみRさんが描いた**「飛べたら」という若い夢を、川石さんは否定するのではなく、何年も先から、そっと受けとめた感じなんですよね。「その気持ち、よくわかるよ。でも、いつか羽のことを思わなくなる夏も来るんだ」**——そんな、年輪のちがう声が重なって聞こえてきます。
しかも二句とも俳句で、**同じ「南風」**を共有しています。同じ風に吹かれながら、片方は窓の外へ飛ぼうとし、片方は飛ぶことを手放している。一陣の南風のなかに、ひとつの青春と、ひとつのその後が、並んで立っているようでした。
なごみRさん、川石のりたけさん、夏のはじまりの風を、二人がかりで吹かせてくれてありがとうございました。
返歌って、元句が見上げた空に、別の時間からそっと答えてみせることができるんですよね。飛びたかった気持ちも、飛べなくなった気持ちも、どちらも本物。同じ風の下に並べてみると、人生のながさが、ふっと見えてくる気がします。
みなさんにとって、「羽があれば飛んでいきたい窓」は、どこですか? あるいは、もう飛ばなくなった夢は——。よかったら、この二句に第三の一句を継いでみてください。