俳句共感 11
山藤の / 蔓をからめて / 艶めかし
「艶めかし」って、俳句で見ると、ちょっとドキッとしませんか?
なごみRさんの一句、初めて読んだとき、この三文字に立ち止まりました。山藤に「艶めかし」をぶつけてくる。この大胆さがまずいい。
ここが好き
季語としての「山藤」は、5月の山に紫の花房が垂れる景色。それだけでも十分美しいんです。でも作者は、花よりも蔓に目をやっている。
「蔓をからめて」——他の木にぐるぐると巻きついて伸びていく、あの絡まり方。それを見ながら、ぽつりと「艶めかし」と置く。
普通なら「美し」とか「うつくし」と言いそうなところを、艶めかし。気品や清楚さじゃなく、もっと身体的で、少し色気のある感覚を持ってきている。これがハッとする所以なんですよね。
じっくり味わう
藤の蔓って、実物を見るとけっこう生々しいんです。
しなやかで、ねっとりと木にまとわりついて、何年もかけて少しずつ締め上げていく。“植物の意志”みたいなものを感じさせる伸び方をしている。
そう思うと「艶めかし」がしっくりきます。花の華やかさだけでは言い切れない、藤という植物のしぶとさと官能。それを十七音で言い当てている。
「からめて」の連用形止めも効いていて、視点がじっと蔓に張り付いたまま、最後の「艶めかし」になだれ込んでいく。読み終わったあと、こちらまで蔓に絡め取られたような余韻があります。
まとめ
季語への“素直すぎる”反応に流されず、自分の眼で見て、自分の言葉で置く。俳句の醍醐味って、こういう瞬間にあるんじゃないでしょうか。
なごみRさん、印象に残る一句をありがとうございます。みなさんも、5月の山で藤を見かけたら、ぜひ蔓のほうもじっと見てみてください。きっと、なにか言いたくなる景色が見つかるはずです。