帰り待つ/吾子蟻眺め/傘ささず
——この一句を読んで、思わず笑って、それから少しじんとしました。
MaYoさんの川柳。雨が降っているのに、傘もささずに、蟻をじっと眺めている子ども。たった十七音のなかに、子どもだけが持っている「夢中」の力が、まるごと閉じ込められた一句です。
ここが好き
帰り待つ / 吾子蟻眺め / 傘ささず
なんといっても、**「傘ささず」**の三文字です。
ふつう、雨が降ったら傘をさしますよね。濡れたら気持ち悪いし、風邪をひくかもしれない。**「濡れないように」**というのは、大人になればなるほど身についていく、当たり前の判断です。
でもこの子は、傘のことなんて、頭からすっぽり抜けている。だって、目の前に蟻がいるから。雨も、濡れることも、全部どうでもよくなるくらい、今、蟻が面白い。その一点突破の集中力が、**「傘ささず」**のひとことに、まるごと出ているんですよね。
じっくり味わう
そして、この句のいいところは、それを見ている「目」があることです。
「帰り待つ吾子」——誰かの帰りを待っている我が子。たぶん、この句を詠んでいるのは、帰ってきた側の人ですよね。仕事帰りか、買い物帰りか。家に近づいてきて、ふと見ると、自分を待っているはずの子が、玄関先でしゃがみこんで蟻を見ている。雨に降られているのにも気づかず。
「ちょっと、濡れちゃうよ」と声をかけたくなる。でもその前に、その小さな背中を、ほんの一瞬、見てしまう。雨のなかで蟻に夢中になれる、その無防備さ。それを**「かわいいなあ」**と思う、やわらかい眼差し。叱る前の、ほんの数秒の幸福が、この句にはあります。
「待つ」のすれ違いがいい
地味だけど効いているのが、**「帰り待つ」と「蟻眺め」**の、ちょっとしたすれ違いです。
子どもは、**親の帰りを「待っている」**はずなんですよね。でも実際にやっているのは、蟻を眺めること。待ちきれずに気がそれた、というより、待つことすら蟻に持っていかれた感じ。
そこがいいんです。**「待っててくれたんだね」という健気さと、「でも蟻に夢中じゃん」**というおかしみが、同時にある。子どもって、本当にこうですよね。まっすぐ待ってくれているようで、すぐ目の前のなにかに、心を全部あげてしまう。
まとめ
雨の日は、大人にとってはちょっと面倒な日です。傘、濡れた靴、湿った空気。**「濡れないように」**で頭がいっぱいになりがちですよね。
でも子どもにとっては、雨の日もまた、蟻がいて、水たまりがあって、面白いものだらけの日。この句は、その子どもの世界の大きさと、それを見守る親の眼差しのあたたかさを、川柳のかろやかさで、ふわっとすくい上げてくれました。
MaYoさん、素敵な一句をありがとうございました。最近たくさんの句を届けてくださっていて、運営としても毎回楽しみにしています。
みなさんにも、雨に濡れるのも忘れて、なにかに夢中になった——そんな子どもの頃の記憶、ありませんか? よかったらコメントや返歌で、あなたの**「傘ささず」**の思い出を教えてください。