「もしもね、」。
この一言、聞いたことありますよね? うちの子も、よその子も、みんな**「もしもね、」って言ってから空想を始める**。「もしもね、ぼくが空を飛べたらね」「もしもね、ねこになったらね」——。
日常生活さんの川柳、たった十七音なのに、その**「もしもね、」のあとにふっと広がる世界**まで、まるごと連れてきてくれる一句です。
ここが好き
もしもね と / 子どもの言葉 / 春日差す
「もしもね と」。
この上五、すごいんですよ。子どもの口癖そのままを、引用符ナシで放り込んでいる。「もしも」だけだったら、ただの仮定の話。でも「もしもね」と読点込みのリアルな口語で置くだけで、急に話者が子どもになる。読者の耳元に、幼い声がふっと落ちてくるんですよね。
そして中七**「子どもの言葉」**。
ここで読者は「ああ、これは子どもがしゃべってるんだ」と納得する。上五で「現場の音」を出して、中七で「説明」を後付けする——順番がうまい。子どもの「もしもね」が先で、説明はあと。聞こえてから、わかるんです。
じっくり味わう
そして座五の**「春日差す」**。
これが、効きます。何の説明もなく、ただ春の日差しが差し込むだけ。子どもが想像を始めた、その瞬間に、世界そのものが**「うん、いいよ」とでも言うように**、ふっと明るくなる。
「もしも」って、もしかすると人間がいちばん最初に覚える哲学なのかもしれないですよね。まだ実際には起きていないことを、頭のなかで先に動かしてみる。それができた瞬間に、世界はちょっと広がる。
その「世界の広がり」を、日常生活さんは**「春日差す」**の四音で言い切ってしまった。「想像力が花開く」とか「世界が明るくなる」なんて、もう一切書かない。ただ、春の光が差した。それだけで全部、伝わる。
川柳の温度
川柳って、人の機微を笑ったり、ちょっと皮肉ったりする印象がありますよね。でもこの句は、子どもの想像を、まっすぐ祝福している。冷やかしも教訓もなく、ただ「いいなあ」と思っている。
これが、日常生活さんの川柳の温度なんです。
まとめ
「もしもね、」と子どもが言ったら、ぜひ先回りせずに、最後まで聞いてあげてください。そのあとに続く話は、たいてい突拍子もないけれど、その子のなかで世界がひとつ広がった、確かな証拠だから。
日常生活さん、温かい一句をありがとうございました。
みなさんは最近、誰かの「もしもね」を聞きましたか? よかったら、コメントや返歌で教えてください。