2月から5月まで、四か月にわたって開いていたお題**「日常のひとこま」**が終わりました。61句の投稿、ありがとうございました! 川柳19・自由詩17・俳句15・短歌10という内訳です。
「日常のひとこま」——お題としては、いちばん漠然としていますよね。何を詠んでもいい。だからこそ、その人がふだん何を見ているかが、いちばん正直に出るお題でもありました。
61句を読んでいちばん思ったのは、大事件が、ひとつも起きていないということです。歯ブラシ、白髪、傘、鉛筆、洗い物の湯気。それだけ。なのにどれも確実に、誰かの生活なんですよね。今回は6句をご紹介します。
①持ち主のいない歯ブラシ — 川石のりたけさんの短歌
持ち主が居なくて泣いた歯ブラシよ/濡らせば帰るそんな幻想
10共感。川石のりたけさんの短歌。
まずは、この一首から始めさせてください。
洗面所に、使われなくなった歯ブラシが残っている。持ち主はもういない。引っ越したのか、別れたのか、それとも——。とにかく、その歯ブラシを使う人は、もう帰ってこない。
すごいのは、**「濡らせば帰るそんな幻想」**です。歯ブラシを水で濡らせば、まるで今朝も使われたように見える。持ち主がまだいるように見える。——それが幻想だと知りながら、それでも濡らしてしまうんですよね。
**「泣いた歯ブラシ」**というのも、うまい。乾いた毛先ではなく、濡れた毛先を「泣いた」と見る。自分が泣くかわりに、歯ブラシに泣いてもらっている。日常のひとこまが、こんなに深い喪失を抱えることがある。61句のなかで、いちばん静かに胸を刺した一首でした。
②孫の手が、母の白髪を — 気ままにさんの俳句
孫の手が / 母の白髪 / そっと撫でて
5共感。気ままにさんの俳句。
こちらは、三世代が一枚に収まった一句。
孫の小さな手が、母(=詠み手の母、つまり孫のひ祖母でしょうか)の白髪を、そっと撫でている。——いちばん若い手が、いちばん年を重ねた髪に触れているんですよね。
「そっと」が効いています。つかむでも、引っぱるでもなく、そっと。子どもは白髪を「珍しいもの」として触っているのかもしれない。でもその手つきは、結果としていたわりのかたちになっている。そしてそれを見ている詠み手は、ふたりのあいだの世代にいる。三つの時間が、一本の白髪の上で触れ合っている。何も起きていないのに、これほど豊かな一瞬があるとは。
③買った途端に、晴れ上がる — ことのは職人さんの川柳
予想外 / 買った途端に / 晴れ上がる
6共感。特集初登場、ことのは職人さんの川柳。
ここで、全人類が経験している一瞬が来ます(笑)。
雨が降ってきたので、コンビニで傘を買う。すると——店を出た途端に、空が晴れ上がる。
**「予想外」**という書き出しが絶妙ですよね。天気予報が外れたことへの「予想外」でもあり、**買った瞬間に晴れるという理不尽への「予想外」**でもある。しかも、晴れて嬉しいはずなのに、まったく嬉しくない(笑)。手元には、いらなくなった傘が一本。
こういう誰もが知っているのに、誰も詠んでいなかった一瞬を拾ってくるのが、川柳のいちばん楽しいところです。ことのは職人さん、素敵なデビュー句をありがとうございます。
④定時前の、急な依頼 — プロテインおじさんさんの俳句
定時前 / 急な依頼に / 目が泳ぐ
4共感。こちらも特集初登場、プロテインおじさんさんの一句。
続いては、働く人の絶望の一瞬です(笑)。
もう少しで定時。今日は帰れる、と思っていたところに——急な依頼。そして**「目が泳ぐ」**。
この「目が泳ぐ」の的確さ。怒るでも、断るでもなく、まず目が泳ぐんですよね。頭が真っ白になって、視線の定まらない数秒。帰りの予定が崩れていく音が聞こえる、あの瞬間。感情を書かずに、目の動きだけで全部を語る——見事な報告でした。③の「傘」と並べると、日常のひとこまって、けっこう理不尽でできていることがわかります(笑)。
⑤鉛筆を削る、音の軽さ — ドンブラ粉さんの俳句
あたたかや / 鉛筆削る / 音軽く
3共感。ドンブラ粉さんの俳句。
ここで、ふっと静かになります。
「あたたかや」——春の季語ですね。そのあたたかい空気のなかで、鉛筆を削っている。そして、その音が**「軽く」**聞こえる。
音の軽さを聞き取っているんですよね。同じ鉛筆削りでも、寒い日は音が硬く、乾いて聞こえる。あたたかい日には、なぜか軽く、やわらかく聞こえる。——季節は、音の質を変える。この繊細な聴き分けが、この一句のすべてです。何も起きていない。ただ鉛筆を削っているだけ。それでも、春が来ていることが確かに伝わってくる。
⑥湯気が、月を曇らせる — 名無しの詠み人さんの自由詩
夜明け前 / 洗い物の湯気が / 月を曇らせる
最後は、名無しの詠み人さんの自由詩。4共感。
締めは、この美しい一篇で。
夜明け前の台所。洗い物をしていると、お湯の湯気が立ちのぼる。そして、その湯気が窓ガラスを曇らせて——窓の向こうの月が、ぼやけて見える。
**「月を曇らせる」**という言い方がすごいんですよね。実際に曇っているのは窓ガラスです。でもこの句では、湯気が月そのものを曇らせている。台所の生活の湯気が、天体にまで届いているような、大きなスケールが生まれる。
夜明け前に洗い物をしているということは、早起きか、あるいは寝ていないか。誰かのために働いている手元の湯気が、月を隠す。いちばん小さな家事が、いちばん大きなものに触れる——61句を締めくくるのに、これ以上の一篇はありません。
まとめ
帰らない歯ブラシ(川石)/白髪を撫でる孫の手(気ままに)/買った途端の晴れ(ことのは職人)/定時前の急な依頼(プロテインおじさん)/鉛筆を削る音(ドンブラ粉)/月を曇らせる湯気(名無しの詠み人)——61句から拾った、六つのひとこま。
紹介しきれませんでしたが、川石のりたけさんの**「隣の君に/そっと肩寄せ」は61句の最多共感(16共感)を集めた一篇でした。万次郎さんの「朧月夜に/酒を舌打ち」(12共感)、若き夢見人さんの「昼休み/君の笑顔が/窓を越えて/春の光に/溶けてゆくまで」、そして「春の夜/スマホ消して/妻と目合う」(うたまるさん)、「朝日さす/窓辺の鉢に/芽が出てた」**(気ままにさん)——。
**大事件は、何ひとつありません。**それでも、61句ぜんぶが誰かの生活の断片でした。日常って、あとから振り返るとこんなに詩でいっぱいなんですね。
四か月にわたってお付き合いくださったみなさん、ありがとうございました。今日のあなたの「ひとこま」は、どんな一瞬でしたか? よかったら、コメントで教えてください。