第16回の返歌特集です。今回の主役は、一匹のナメクジ。
炎天下の舗道で焼かれるナメクジを詠んだ咲さんの俳句に、ぴえ子さんが**「そんなに急いでどこ行くの」と話しかけ、気ままにさんが「そうだね君も」**とやさしく応える。俳句から川柳へ、写生から人生訓へ——三人の手を渡るうちに、ナメクジへの問いかけが、いつのまにか私たち自身への問いに変わっていく三句でした。
一句目:焼かれる舗道に、雨が来る
咲さんの俳句。
蛞蝓や / 舗道に焼かれ / 雨ぞ来る
5共感。まずは、古典的な写生の一句から。
蛞蝓(なめくじ)が、真夏のアスファルトの上にいます。「舗道に焼かれ」——日に灼けた舗道は、体のほとんどが水分のナメクジにとって、命にかかわる灼熱地獄ですよね。乾いて、干からびてしまう寸前。
そこへ、「雨ぞ来る」。——間に合ったんです。**「ぞ」**という強い助詞が効いていて、待ちに待った救いが、いま、確かに降ってきたという感じがする。小さな命ひとつに、天からの助けが届く。残酷な暑さと、ぎりぎりの救済が、十七音にきっちり収まった一句です。
二句目:そんなに急いで、どこ行くの
そこに、ぴえ子さんが返歌を寄せます。
ナメクジって / そんなに急いで / どこ行くの
8共感。——空気が、ふっとやわらぐのがわかりますか。
咲さんの句が、文語を使ったしんとした写生だったのに対して、ぴえ子さんはまるっきりの話し言葉。しかも、ナメクジに直接話しかけているんです。「そんなに急いで、どこ行くの」。
面白いのは、ナメクジは、どう見ても急いでいないことですよね(笑)。この世でいちばんのろい生きもの。それを「そんなに急いで」と言うおかしみ。——でも、一句目を読んだあとだと、別の意味が立ち上がってくるんです。あのナメクジは、焼かれる舗道から、必死で逃げようとしていた。本人(本虫?)にしてみれば、あれは全速力の逃走だったのかもしれない。
**のんきに見えるものが、実は必死かもしれない。**そう思うと、この軽い問いかけが、少し違って聞こえてきます。
三句目:そうだね、君も
そして、気ままにさんが受けとめます。
そうだね君も / 急ぐ時もあり / 緩む時も
8共感。——この**「君も」**の二文字に、私はやられました。
ぴえ子さんは、ナメクジに向かって問いかけました。ところが気ままにさんは、その問いを、問いかけた本人に返すんです。「そうだね、君も」——君だって、急ぐ時もあれば、ゆるむ時もあるよね、と。
ナメクジの話をしていたはずが、いつのまにか自分の話になっている。しかも、まったく説教くさくないんですよね。「急いでばかりではいけない」でも「もっと頑張れ」でもない。ただ、急ぐ日も、ゆるむ日も、どっちもあるよねと、並べて肯定してくれるだけ。
**「そうだね」**という同意から始まるのも、やさしいところです。まずぴえ子さんの言葉をまるごと受け取って、それから、そっと視線を向け直す。気ままにさんらしい、あたたかい返歌でした。
焼かれるものから、私たちへ
三句を並べると、まなざしが少しずつ移動していくのが見えます。
- 一句目(咲):焼かれる蛞蝓に、雨が降る(命への写生・俳句/文語)
- 二句目(ぴえ子):そんなに急いでどこ行くの(話しかける・川柳/口語)
- 三句目(気ままに):そうだね君も、急ぐ時も緩む時も(問いが自分に返る・川柳/人生)
観察する → 話しかける → 自分のことになる。しかも、ジャンルが俳句から川柳へ、言葉づかいが文語から口語へ移っていくのが、そのまま距離の縮まり方になっているんですよね。最初は遠くから眺めていた小さな生きものが、最後には**自分と同じ悩みを持つ「君」**になっている。
急いでいるように見えて、必死なだけかもしれない。のろく見えて、全力かもしれない。——舗道の上のナメクジは、案外、私たちに似ています。
咲さん、ぴえ子さん、気ままにさん、一匹のナメクジから、こんなところまで連れてきてくれてありがとうございました。
今日もどこかで、誰かが必死に舗道を渡っています。急いでいる日も、ゆるんでいる日も、どちらもあっていい。そのうえに、そのうち雨も降る——そう思えるだけで、なんだか少し楽になります。
みなさんは今日、急ぐ日ですか。それとも、ゆるむ日ですか。 よかったら、この三句に四句目を継いでみてください。ナメクジからの返事も、待っています。