「詠む」には返歌の機能があります。誰かの句を読んで、心が動いて、自分も詠みたくなる——そんな瞬間から生まれた返歌のやりとりをご紹介します。
返歌って面白いんですよ。元の句が返歌によって全然違う奥行きを持つようになったり、予想もしなかった方向に展開したり。一人では辿り着けなかった場所に、二人の句で到達する感覚があります。
マスクの下の顔 → 鏡の中の春
最初のやりとり、これがすごく好きなんです。
元句は「マスク外した顔忘れ」という、コロナ禍あるあるの川柳。クスッと笑える軽い一句ですよね。
ところが返歌の「忘れても / 鏡に映る / 春の顔」で、世界がガラッと変わる。「忘れてもいいんだよ、鏡を見れば春の顔があるよ」って、なんだか優しく包み込まれるような。元句の1共感に対して返歌は7共感。返歌が元句に新しい命を吹き込んだ瞬間です。
朝の洗濯物 → 夕暮れの妻のシャツ
元句は「朝日浴び / 洗濯物の / 香りかな」。爽やかな朝の情景ですね。
返歌は「夕涼み / 妻の干したる / シャツ嗅ぎぬ」。同じ洗濯物なのに、朝から夕方へ、無名の洗濯物から「妻の干したシャツ」へ。時間と人の温もりが加わって、一枚のシャツが愛おしいものに変わっています。
元句0共感→返歌8共感。返歌が元句の潜在力を引き出した好例です。
夜桜のスマホ → 光も影も愛おしき
計13共感でダントツのこのやりとり。
「夜桜や / スマホの光 / 顔も桜」——夜桜を見に行ったけど、みんなスマホを見ていて、その光で顔がピンク色に見える。現代の花見の風景を切り取った面白い句です。
返歌の「桜花 / 光も影も / 愛おしき」が、この場面をぐっと深いところに持っていく。スマホの光も、夜の影も、全部含めて「愛おしい」。現代の花見を肯定してくれるような、懐の深い一句です。
孫の背中 → 小さき手の温さ
最後は、同じ気ままにさんによる自問自答的な返歌。
「孫の手で / 背中かいてもらう / 春日かな」から「孫の手を / 握る小さき / 手の温さ」へ。背中をかいてもらう物理的な心地よさから、その手を握ったときの温もりへ。行為から感情への美しい転換。
「孫の手」という言葉が、道具の孫の手と、お孫さんの手の二重の意味を持っているのも巧みです。
返歌は、一人じゃ見えなかった景色を見せてくれます。みなさんも、心が動いた句があったら、ぜひ返歌を送ってみてください。思いもよらない化学反応が起きるかもしれません。