第12回の返歌特集です。今回は、お盆の蝉をめぐる、俳句と俳句のやりとりを取り上げます。
元句が**「初鳴きの蝉を聞きながら、盆参りへ」と墓地へ向かう道を詠み、返歌が「墓前で、母も一緒に蝉の声を聞いている」**とその到着の場面を描く——蝉を「聞く人」が、一人からそっと増えていく。同じ夏の音のもとに、いくつもの耳が重なっていく、静かで深いやりとりでした。
一句目:初鳴きの蝉と、墓参りの道
なごみRさんの俳句。
雲低く / 初鳴きの蝉 / 盆参り
「雲低く」——梅雨明けの、まだ湿り気の残る空。そこに、その年はじめての蝉の声(初鳴きの蝉)が響きます。そして**「盆参り」**。ご先祖のお墓へ向かう、あの道のりです。
いいのは、この一句が**「音」で始まっている**ことです。低く垂れこめた雲の下、しんとした空気を破って、ジー…と、今年最初の蝉が鳴く。その声に導かれるように、墓地への道を歩いていく。まだ本格的な夏の前の、少し重たい空気と、初蝉のかぼそい声。お盆という時季の、あの独特のしめやかさが、十七音にきれいに畳まれています。
二句目:墓前で、母も聞いている
そこに、日常生活さんが返歌を寄せます。
墓前にて / 蝉の声聞く / 母も聞く
これを読んだとき、元句の蝉の声が、すっと遠くまで広がった気がしました。
元句では、蝉の声を聞いているのは、盆参りへ向かう「詠み手ひとり」でした。返歌は、その人が墓前にたどり着いた場面を見せてくれます。手を合わせ、ふと耳をすますと、蝉が鳴いている。そして——「母も聞く」。隣にいる母も、同じ蝉の声を聞いている。さっきまで一人だった耳が、二人分になるんですよね。
さらに、この句のいちばん深いところは、墓前だ、ということです。目の前のお墓には、もう声を聞くことのない人が眠っている。**「母も聞く」**の一言が、じわじわと効いてきます。自分が聞き、母が聞き、そしてかつては、墓の中のあの人も、同じ蝉を聞いていた。蝉の声が、生きている者と、亡くなった者の、三代の耳をそっとつなぐ。「聞く」という一語をふたつ重ねただけで、こんなにも深い時間が立ち上がるとは。
「聞く」が、重なっていく
このやりとりの美しさは、元句の「蝉の声」を、返歌がそのまま受け取って、"聞く人"を増やしてみせたところにあります。
- 元句:初鳴きの蝉、ひとりで聞きながら墓へ向かう(道の途中の、しめやかな予感)
- 返歌:墓前で、母も、そしておそらく故人も——幾重にも重なる耳(到着した場所での、静かな時間の深まり)
なごみRさんが俳句で**「盆参り」への道**を差し出したのを受けて、日常生活さんは、その道の行き着いた先を、また俳句で返しました。同じジャンル、同じ蝉の声。派手な転換はないのに、"聞く"がひとつ増えるだけで、景色の奥行きがまるで変わる。返歌が、元句の一本道を、幾世代もの時間へと広げてくれた一組でした。
なごみRさん、日常生活さん、お盆の蝉の声を、二人がかりで深めてくれてありがとうございました。
返歌って、元句がひとりで聞いていた音を、「わたしにも聞こえるよ」とそっと隣に並んでくれることができるんですよね。ひとつの蝉の声が、こんなにも多くの耳につながっていくとは。
みなさんにも、大切な人と、同じ音を聞いた記憶はありませんか? よかったら、この二篇に第三の一句を継いでみてください。墓前の蝉の、その先の夏を、誰かが詠んでくれたら嬉しいです。