第11回の返歌特集です。今回は、終業式に持ち帰る、鉢植えの朝顔をめぐる二篇を取り上げます。
元句が**「終業式、朝顔を抱えて、家は遥か」と、重い鉢を抱えた子の帰り道を描き、返歌が「朝顔はしおれ、親に叱られ、家はもっと遥か」**と、その道のりをさらに遠く、さらに切なく延ばしていく——俳句の静かな景が、自由詩でぐっと深掘りされる、そんなやりとりでした。ジャンルが俳句から自由詩へ移ることで、こらえていた気持ちがあふれ出しています。
一句目:終業式の、遠い帰り道
MaYoさんの俳句。
終業式 / 朝顔抱え / 家遥か
夏休み前の終業式。教室で育てた朝顔の鉢を、両手で抱えて持ち帰る——小学生の、あの夏の風物詩ですよね。
いいのは、最後の**「家遥か」です。鉢って、意外と重いし、かさばる。土がこぼれないように、そうっと抱えて歩く。そうすると、いつもの帰り道が、やけに遠く感じるんですよね。「家遥か」**の三文字に、まだ半分も歩いていないのに、という子どものため息が、ぎゅっと詰まっている。夏のまぶしさと、抱えた鉢の重みと、遠い家。説明しすぎない俳句のよさが、きれいに効いた一句です。
二句目:しおれて、叱られて、もっと遥か
そこに、市井の詩人さんが返歌を寄せます。
朝顔しおれ / 親に叱られ / 家はもっと遥か
これを読んだとき、思わず「ああ……」と声が漏れました。
元句の子は、まだ家に向かって歩いているところでした。返歌は、その続きを見せてくれます。朝顔はしおれ——炎天下を歩くうち、あんなに元気だった花が、しなびてしまった。そして**「親に叱られ」**。せっかく持って帰ったのに、「なんでしおれさせたの」と怒られてしまったのか。あるいは、まったく別のことで叱られたのか。どちらにしても、がんばって運んできた気持ちが、報われなかったんですよね。
そして、返歌の急所が最後の**「家はもっと遥か」です。元句の「家遥か」を受けて、「もっと」をたった二文字、足しただけ。でも、この「もっと」の破壊力たるや。元句では物理的な距離だった「遥か」が、返歌では心の距離**に変わっているんです。叱られて、しょんぼりして、さっきまで目指していた「家」が、急に、帰りたい場所じゃなくなってしまった。同じ「遥か」なのに、意味がまるごと入れ替わっている。
「遥か」が、二度変わる
このやりとりの見事さは、キーワードの「遥か」を、返歌がそっくり受け取って、意味をずらしてみせたところにあります。
- 元句:朝顔を抱えて歩く、距離としての「家遥か」(夏のまぶしい、素朴なため息)
- 返歌:しおれて、叱られて、気持ちとしての「もっと遥か」(帰る場所を見失う、静かな痛み)
MaYoさんが俳句の十七音でそっと閉じた景色を、市井の詩人さんは自由詩のすこし長い息づかいでほどいて、その先の午後まで連れて行ってくれました。季語のある俳句から、季語を手放した自由詩へ——形式が変わることで、朝顔の一日が、朝のまぶしさから午後のしょんぼりまで、まるっとつながって見えるんですよね。返歌が、元句の余白に、そっと物語を書き足してくれた一組でした。
MaYoさん、市井の詩人さん、朝顔の鉢を、二人がかりで最後まで見届けてくれてありがとうございました。
返歌って、元句が「ここまで」と置いた続きを、「その先はね」と引き取ってあげられるんですよね。「家遥か」の四文字に、こんなにも切ないその後が待っていたとは。
みなさんにも、がんばって運んだのに、うまくいかなかった日の記憶はありませんか? よかったら、この二篇に第三の一句——たとえば、しおれた朝顔がその後どうなったのか——を継いでみてください。誰かのやさしい続きを、待っています。