第21回の返歌特集です。今回は、ひとつの元句に、方向の違う返歌がふたつ届きました。
きっかけは、うたまるさんの**「朝、スマホを見ながら誰かと自分を比べてしまう」という一句。そこに名無しの詠み人さんが「誰もが同じ光を待っている」と横へ広げ、市井の詩人さんは「自分自身と比べてみたら」**と縦に掘りました。比べる相手が、他人 → みんな → 昨日の自分へと動いていく——この移動が見事な三句です。
元句:誰かさんと比べ
うたまるさんの川柳。
朝日浴びて / スマホ片手に / 誰かさんと比べ
9共感。まずは、朝いちばんの、いちばんよくない習慣から。
目が覚めて、朝日を浴びて。気持ちのいい朝——のはずなのに、手にはスマホ。そこに流れてくるのは、誰かの成功、誰かの旅行、誰かの充実した生活。そして気づけば、自分と比べている。
**「誰かさん」**という言い方が絶妙ですよね。特定の誰かではない。名前も顔もはっきりしない「誰かさん」と比べて、勝手に落ち込んでいる。しかも朝日を浴びながら——いちばん健やかな光の下で、いちばん不健康なことをしている。
この痛いところを突いた一句に、ふたりが応えます。
返歌A:誰もが、同じ光を待ってる
まず、名無しの詠み人さんの自由詩。
夜明け前 / この町の駅舎も / 同じ光を待ってる / 誰もが。
6共感。——視点が、ぐっと引きます。
元句がスマホの画面(手のひらサイズ)を見ていたのに対して、この返歌は町ぜんぶを見ています。夜明け前、まだ暗い駅舎。そこにも朝日はまだ届いていない。駅舎も、町も、そして人も、みんな同じ光を待っている。
そして最後の**「誰もが。」**——句点で終わるんですよね。言い切って、そこで黙る。この静かな断言が効いています。
比べる相手を「誰かさん」から「誰もが」に変えてしまったんです。誰かと自分を比べて落ち込むのではなく、全員が同じ夜明けを待つ側にいる。上下ではなく、横並び。——慰めというより、事実として並べてくれるやさしさがあります。
返歌B:自分さんとも比べてみたら
もうひとり、市井の詩人さんの返歌はこちらです。
朝日浴びて / スマホ片手に / 自分さんとも比べてみたら / 昨日より劣化してて / 朝日がまぶしい
5共感。——声を出して笑いました。
上二行は、元句をそのまま引き継いでいます。「朝日浴びて/スマホ片手に」。ところが三行目で、「誰かさん」が「自分さん」に変わる。
「自分さん」。この言い方がもう愉快ですよね。他人を「誰かさん」と呼んだのなら、自分も「自分さん」と呼んでやろう、という律儀さ(笑)。そして、他人と比べるのをやめて、昨日の自分と比べてみた。
結果——「昨日より劣化してて」。
まさかの下方修正(笑)。他人と比べて落ち込むのをやめたら、もっと確実に落ち込む相手が見つかってしまった。そして**「朝日がまぶしい」**。この朝日は、もう気持ちのいい光ではありません。劣化した自分を容赦なく照らす、まぶしすぎる光です。
Aが「誰もが同じ」と横に広げて救ってくれたのに、Bは縦に掘って自爆する(笑)。同じ元句から、こんなに違う場所へ行けるものかと感心しました。
他人・みんな・昨日の自分
三句を並べると、比較の相手が動いていくのがはっきり見えます。
- 元句(うたまる):誰かさんと比べる(→ 落ち込む)
- 返歌A(名無しの詠み人):誰もが同じ光を待っている(→ 横に広げて、並ぶ)
- 返歌B(市井):自分さん=昨日の自分と比べる(→ 縦に掘って、さらに落ちる)
面白いのは、Bのほうが「正しい」とされがちな比べ方だということです。「他人と比べるな、過去の自分と比べろ」——よく言われる助言ですよね。ところが実際にやってみたら、昨日より劣化していた(笑)。正しい比べ方をしても、救われるとは限らない。
じゃあ、どうすればいいのか。——たぶん、答えはAのほうにあります。比べるのをやめて、「誰もが」の側に立つ。駅舎も、町も、自分も、まだ光を待っている途中なんだと思うこと。
ひとつの弱音に、慰めと自爆の両方が返ってくる。これって、実際に誰かに悩みを打ち明けたときと、まったく同じですよね。やさしい友人と、一緒に落ちてくれる友人。どちらもいたほうが、朝はきっと越えやすい。
うたまるさん、名無しの詠み人さん、市井の詩人さん、朝の一瞬をこんなに広げてくれてありがとうございました。
明日の朝、スマホを持つ手が止まったら、思い出してみてください。この町の駅舎も、まだ光を待っています。——昨日の自分と比べるのは、もう少し元気な日にしましょう。
みなさんは、朝いちばんに誰と自分を比べていますか? よかったら、この三句に四句目を継いでみてください。