2月下旬から4月末まで、約70日にわたって走り続けたチャレンジお題**「色を詠む」**。27句もの投稿をいただきました。長丁場のお題、本当にありがとうございます!
色というお題は、結局のところ「世界をどう見るか」のお題です。同じ朝日でも、誰かは黄色を、誰かは桜色を、誰かは薄紫を見る。27句を並べると、春の色彩がスペクトラム状に広がっていくのがわかって、とても楽しい眺めでした。
今回はその中から、色の系統ごとに5句をご紹介します。
赤 — 信号機に映る自分
信号に / 己重ぬる / 赤色や
川石のりたけさんの川柳。10共感でこのお題のトップ。
「赤色」と聞いて思い浮かべるのは、ふつう花や夕焼け。ところがこの句は信号機の赤。日常で一番目にする赤、なのに普段はわざわざ詠まれない赤を、川柳に拾い上げてきました。
そして「己重ぬる」。止まれと命じる信号の赤と、自分の中の「止まれ」を重ねている。赤=止まれ=今は無理しないでいい——そんな解釈の余地まで生まれます。
色のお題の口火を切る、見事な再定義の一句でした。
黄 — 朝日が呼び覚ます春の色
朝日受け / 菜の花畑 / 黄色かな
気ままにさんの俳句。6共感。
「黄色」を直接「黄色」と詠む大胆さ。修飾せず、形容せず、ただ「黄色かな」と置く。色そのものを名詞として立てた潔さがあります。
朝日を浴びた菜の花畑が、ただただ黄色い。説明はそこで終わる。読み手の側で、その黄色を勝手に光らせる余白がある——色の名前を信じて句を作るって、こういうことなんだなと思わされる一句でした。
桜色 — 孫の頬に宿る春
朝日受け / 孫の頬染む / 桜色
気ままにさん、もう一句。4共感。
「孫の頬染む / 桜色」がたまらない。桜色は本来花の色のはずなのに、孫の頬が桜色をしている。順序が逆転している、というか、孫こそが桜の本体になっている。
朝日を浴びて頬を上気させた子どもの顔——そこにあるピンクは、もはや桜の色じゃなくて、生きていることの色。気ままにさんはお孫さんの句を多く詠まれていますが、その中でもとりわけ温度の高い一句です。
薄紫 — 誰かの迷いを癒す色
春の日に / 薄紫の傘が / ふわり揺れ / 誰かの迷いも / 色で癒せたら
うたまるさんの短歌。3共感。
「色で癒せたら」——この祈りに似た結びが胸に残ります。
薄紫という色は、桜のピンクほど主張せず、菜の花の黄色ほど明るくない。少し疲れた人にちょうどいい色。その傘がふわりと揺れている。
「誰かの迷い」が誰なのかは書かれていない。隣を歩く知らない人かもしれないし、自分自身かもしれない。でも、色で癒せたらと思った瞬間、その傘はもう祈りの道具になっている。色彩には機能がある——そう信じる詠み手の優しさが、よく出た一首でした。
青 — スマホの光が顔を染める
夜明け前 / スマホの青が / 顔を染む
うたまるさん、もう一句。2共感。
最後はいちばん現代的な色。スマホの青い光が、夜明け前の顔を染めている。
これも逆転がいい。本来「夜明け前」は薄紫や藍色に染まる時間のはずなのに、いま顔を染めているのは人工の青。LEDが朝焼けを先取りしてしまった景色とも読めるし、自然の色彩よりスマホの色彩のほうが先に届く現代への、しずかな嘆息とも読める。
色のお題は赤から始まり、青で締めくくる——信号機の赤からスマホの青へ。色を巡る27句の旅は、奇しくもいちばん人工的な色で帰結しました。
まとめ
27句を読みながら気づいたのは、春の色は自然の中だけにあるんじゃないということ。信号機の赤、孫の頬の桜色、スマホの青——人と人工物の中にも、春の色はちゃんと宿っている。
赤・黄・桜色・薄紫・青——みなさんが見つけた色のスペクトラムは、どれもこの春の景色の一部でした。長いチャレンジ題にお付き合いいただき、ありがとうございました。次のお題でも、みなさんが切り取る色彩を楽しみにしています!